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年頭のご挨拶

新年明けましておめでとうございます。 2011年が皆様にとって、より良い年となりますよう心よりお祈り申し上げます。

昨年は、一昨年の経済ショックの立ち直りが期待されました。しかしながら、僅かな回復に留まり、期待ほどには立ち直れない状況でした。
本年は何とか立ち直って、明るい話題が満ちることを願っております。

近年はパイロットにとっては変革の時代であり、色々な波が押し寄せております。

その第一歩として、本年は今までと全く異なった船長出身者ではないパイロット学校出身の3級パイロットが、7月より我々の世界に加わる予定です。
関係皆様の暖かいご支援とご指導をお願いいたします。

また、以前から船社の要望もありました指名制が、本年春ごろより関門港において開始される予定です。この指名制度とは、特定の船舶について別立ての料金制度により水先業務を引き受けるものであり、我々にとって全く未知の分野であります。現在のシステムとの整合を図りながら、この新しい事業に取り組むには関係皆様のご協力が必要と考えられます。よろしくご配慮の程お願い申し上げます。

我々、パイロットにとって、水先法にある『船舶交通の安全を図り、併せて、船舶の運航能率の増進に資する』という命題は絶対的なものであり、究極の目標でもあります。
大きな変革の波に洗われながら、この命題を守り、更なる一歩を本年も目指していきたいと思っております。
幸いなことに、ここ数年無事故で水先業務を果たし、関門港の安全と発展に寄与しているものと自負しております。しかしながら、昨年は関門橋付近でのパイロットの乗っていない船による大きな事故が多発しており、我々パイロットも危険な場面に遭遇しております。
今後とも、関係機関、関係各位の皆様と話し合いながら、安全を考え、水先業務に全力を尽くす所存です。

関門海峡の通峡船及び関門港への入出港船の安全な水先業務と運航能率増進に向けて、
水先人会所属の会員、社員一同、一層精励努力し、海難事故ゼロを目指して邁進いたします。
今後とも、皆様方のご指導ご支援を賜りますよう本年もよろしくお願い申し上げます。

                                  関門水先区水先人会 会長 齋藤辰郎

# by kshpa | 2010-12-31 10:57  

2010年 年頭所感

新年明けましておめでとうございます。2010年が皆様にとってよい年になりますようにお祈り申し上げます。

「光陰矢のごとし」といわれますが、去年の1年は何かしらバタバタしている間にあっという間に過ぎ去りました。リーマンショックのあおりを受けて業務量は激減しましたが、ここに来て海運も少しは回復しつつあるのかなーと感じる日もあります。金融工学とかデリバティブ商品とか素人にはなじみの無い話で、それの破綻とかで皆が引っ掻き回されるのはごめんですね。いくら自由経済といっても、強欲集団には何らかの規制を加えないと又同じ轍を踏むことになりませんか。

工学に限りませんが科学技術の進歩はすばらしく、JAXAのHTV(宇宙ステーション補給機)やソユーズがISS(国際宇宙ステーション)にドッキングする様子をテレビで見せられると、ピラミッドの頂点にある最高の技術と訓練された超エリート飛行士達又それを支援する多数の地上スタッフがセットになっての成果とはいえ、古代人の我が頭脳はただ魂げるばかりのみ。

宇宙とは次元が異なるが、かたや船舶の操船シミュレータの技術も進歩しています。昨年は大型LNG船の入港時のビジュアル操船シミュレータ訓練に当会の水先人延べ9人が参画しました。ファストタイムシミュレーションで演算された標準操船例と必ずしも合致しませんが、それは平均的な水先人の安全率に対するバイアスを考慮すると当然の結果であり、実際には行き会う他の船舶との見合い関係が生じた場合やタグボートの使用法など臨機応変の応用動作が必要であり、目的は全く同じく安全運航で業務を全うすることであることから、水先人の実際の嚮導の軌跡は容認されてしかるべきものと確信しています。

幸い昨年は水先人乗船中の海難事故はゼロであった。これもひとえに各水先人が安全運航に尽くした努力の賜物であるとはいえ、ヒヤリハットが皆無であったわけではない。ハインリッヒの法則は生きている。今後とも、我々水先人は自分が絶対ではなく、「憶測」、「過信」、「独断」などヒューマンエラーに起因する間違いを冒す可能性があることを自覚して、BRMを積極的に活用する等、これからも「無事是名馬」で事故防止を図って行きたいと念じています。

「いく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまるためしなし。・・・」(方丈記)と「常に同じものはこの世に無い」の本来の解釈とは大きくズレますが、関門海峡は1日4回 潮の流れが変わります、数億トンの海水が東流れ西流れを繰り返しながら全体としてはどちらに流れているのでしょうか。屈曲した狭い地勢、えぐられた凸凹のある海底の地形等によって強潮流・ワイ潮が現れます。
長時間にわたる潮流観察の結果でも大潮、中潮、小潮、長潮、若潮時のハーモニーは微妙に異なり、定点・定時における潮流の予測値の算出はある幅の範囲内でしかとらえられないのが実態です。

言葉では言い尽くせたとしても、やはり、具体的な局面の事象は経験しなければ判りません。次善の策はその中で会得して安全運航に寄与できるものだと水先人は確信しています。

関門海峡の通峡船および関門港への入出港船の安全な水先業務と運航能率増進に向けて、水先人会所属の会員、社員一同、一層精励し、海難事故ゼロを目指し邁進していきます。関係機関をはじめユーザーの皆様方のご指導、ご支援を賜りますよう本年もよろしくお願い申し上げます。

                                 関門水先区水先人会 会長 下野勝郎

# by kshpa | 2010-01-04 09:48  

年頭所感

 新年明けましておめでとうございます。2009年が皆様にとって良い年となりますようにお祈り申し上げます。
 ゆく年くる年、万感の思いでそれぞれの年を越されたことと思いますが、特に昨年9月ごろからの急激な経済変動は全く予想のつかないものでした。米国発の金融不安、消費の落ち込み、製造業の減産、リストラ等、あっという間に実体経済に大きな影響が及んで新聞紙上は毎日その関連の記事で溢れかえっています。なかでも雇用情勢の悪化により塗炭の苦しみを味あわされている人たちへの救援策が急務で解散風など吹く間はなさそうです。

 海運界をはじめ水先人会を取り巻く経済環境も大きく変動していくのは目に見えています。日本のバブル崩壊後の失われた10年をやっと乗り越え順風満帆かと思っていたら、今や、不採算船の解撤、係船対策なども検討しているとかその変化はめまぐるしいばかりです。
 昔の大航海時代の帆船は自然の猛威に翻弄された時、大時化の中、帆をたたみ、投荷し、はたまたマストを切り倒し、難破を逃れたとの物語を読んだことがあります。気象衛星や情報伝達手段が発達した現代ではあり得ぬ話ですが、耐え忍ぶのは同じことでしょう。
 かつて小生は北太平洋を横断する船舶に乗船時、最適な航海ルートを選定するため気象情報会社の推薦ルートを採用していました。その社の宣伝文句の『凪の向こうに時化がある。時化の向こうに凪がある。』という言葉を鮮明に記憶しています。自然の法則は確かでした。たまに連続する大時化との遭遇に不運を嘆いたこともありましたが。

 当水先人会の在籍水先人は現在32名、4月には5名の新人が入会予定で総数37名となります。更に3級水先人が2011年4月の入会を目指して水先人養成施設で受講中です。新水先法のもと新制度のレールは敷かれていますが、これから積み込んでいかねばならない課題も残っています。会員の英知をナビに最適なルートを選定していきたいと思います。

 関門海峡の通峡船及び関門港への入出港船の安全な水先業務と運航能率増進に向けて、水先人会所属の会員、社員一同、一層精励し、海難事故ゼロを目指し邁進していきます。関係機関をはじめユーザーの皆様方のご指導、ご支援を賜りますよう本年もよろしくお願い申し上げます。

                              関門水先区水先人会 会長 下野勝郎

# by kshpa | 2009-01-04 10:55  

関門航路改修事業・草創の記念碑

 下関唐戸にカモンワーフ魚市場・立体駐車場の東側にバス駐車場がある。設立当時は海に面していたが、現在は奥まった所にある。
 設立趣旨 第四港湾建設局発祥の地に港湾建設の議を書きのこされた先賢の偉業を称え、これを永く後人に伝える。由来記に『古来関門海峡は、我が国屈指の海の要衝であった。往時の海峡は、大きく湾曲した水路に、与次兵衛岩・金伏瀬を始めとする岩礁・浅瀬が随所に散在して航路を複雑狭隘にして、くわえるに名にし負う危潮渦巻き、天下の難所として大いに恐れられた所でもあった。ここにおいて政府は海難の防止と海運の振興のため海峡の一大改良を決意し、明治44年4月この地に内務省下関土木出張所を開設してその事業に当たらせると共に西日本の一帯の公共事業を所掌させる事とした』現在の国土交通省九州地方整備局である。
 

# by kshpa | 2008-08-21 11:28  

関門海峡の安全航行を見守った人達

『僧 清虚』 
大分県国見町の出身、天保7年(1838)行脚の途中、青浜にて何とか海難をなくし多くの人命を救おうと燈明台を作り13年の長い間、燈明の火を絶やさなかった。彼の死後は村人達に引き継がれ、明治5年1月、現在の灯台が完成するまで暗闇の海を照らし続けた。

『岩松助左衛門』 
小倉長浜の庄屋、文久元年 藩主より海上御用掛並び難破船支配役を命じられた。当時、海難事故の多くあった白洲に、燈明台の建設を建議した。当時の小倉藩の財政援助は期待できなかったので、私財を費やし又寄付を募り奔走した。明治新政府の灯台寮は、明治5年、彼の燈明台建設にかける情熱に「神妙奇特の至り」と強く感動し政府直営の事業とした。明治6年9月1日完成・点灯した。彼が燈明台建設の悲願を込めて以来11年の歳月が流れた。彼の顕彰碑は小倉城内にある。

# by kshpa | 2008-05-13 11:39