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徳川時代の海峡の水先案内

 寛文10年(1670)、幕府は河村瑞賢に東廻り航路、西廻り航路の開拓を命じた。奥羽地方の米を江戸・大阪に効果的に運ぶためである。新井白石の奥羽海運記によれば「長州下関沖海中に石礁あり、海船之に触れれば忽ち敗毀を致す。故に務場人役に委ね常に嚮導小船を備え、運航を指引し以て危礁を回避せしむ。」とある。現在の水先案内の事である。寛文以後、自然と集まり一つの組合となって営業された。伊崎(下関)に殆どの水先人が住んでいたので、伊崎付船ともいわれた。(註 北前船の始まりである。) 加賀藩は100石船 石松代参30石船 因みに新潟港では、享保時代「水戸教」と呼ばれる水先案内があった。伊藤家が代々世襲であった。関門より約55年後の事である。現在水戸教公園があり、船見櫓を復元したものがある。

# by kshpa | 2008-03-03 14:59  

関門海峡の航行安全 昔・今

明石与次兵衛碑

 文禄元年(1592年)7月、朝鮮出兵のため名護屋城(佐賀県)にいた豊臣秀吉は、母の急病を聞き、急遽大阪城に向かった。途中、関門海峡最大の難所といわれた『篠瀬(しのせ)』で御座船が座礁した。秀吉は護衛の毛利秀元(後の長府藩初代の藩主となる)により助けられたが、船奉行であった明石与次兵衛は、その責任を負って大里の浜に上陸し割腹して果てた。
 この事件の後、従来海難事故の多い所で『死ノ瀬』とも呼ばれていた。
 後、慶長5年(1600年)、豊前国の領主として入国した細川忠興は、与次兵衛の死をいたむと共に、往来船舶の安全のため『篠瀬』に与次兵衛碑を建てて示標とし『与次兵衛ヶ瀬』と呼ぶようになった。
 1823年長崎・出島のオランダ商館付医師として来日したドイツ人・シーボルトは日本に近代西洋医学を伝え、又日本の近代化やヨーロッパでの日本文化の紹介に貢献した人物である。彼の『江戸参府紀行』によると「記念碑は約2メートル50の高さの四角い柱で、四面からなるピラミッド形の飾り屋根があって碑文はない」とある。
 門司港駅より車で5分の所に和布刈公園がある。丁度関門橋の下である。周回道路の基点にある案内板より、約30mほどで、左へ展望台に行く小道があり、それをのぼると、海難守護神明石与次兵衛塔があり、海峡を見下ろしている。海上から見ると、柁ヶ鼻の海上保安部の基地の上に、瀬戸内海国立公園の看板が見えるが、その一寸上の所に、塔の頭部分が見え隠れする。大正初年ごろから始められた海峡改良工事で、この塔は運輸省第四港湾建設局(下関市)の構内に移され、第二次大戦中は防空壕を掘るため、海中に沈められていた。戦後、門司郷土会その他有志が引き揚げ(頭部は破損していた)、昭和31年4月、海難守護神明として和布刈公園に再建(頭部は本来八角型であったが誤って円型に造る)したが、関門橋建設に伴い同47年この地に移した。

# by kshpa | 2008-02-01 01:00  

「関門海峡の航行安全 昔・今」 

 平成19年12月19日(水)、西部海難防止協会の海務懇談会が開催されました。同会に於いて浜嶋会長が「関門海峡の航行安全 昔・今」と題して講演され、連綿と続く当海域の歴史を熱く語られました。
 又、同氏は過去に日本パイロット協会(現日本水先人会連合会)会誌に明石与次兵衛に関する記事も投稿されております。海に関係のある我々にとっては、極めて興味深い内容となっておりますので、同氏の了承を得て、数回に分けて連載します。

# by kshpa | 2008-01-21 15:16  

新年ご挨拶

 明けましておめでとうございます。今年も皆様にとって、良き年でありますよう、お祈り申し上げます。

 昨年は我々水先人にとっては改正水先法が施行され、激動の年でした。水先人会の法人化、水先料金の省令から認可料金への移行決定、新しい水先人養成制度の発足、東京湾、伊勢三河湾、大阪湾内の水先区の統合、全ての水先人の個人事業者化等々、大変革が実施され、それに付随する現場での諸々の問題処理に翻弄されました。一部は今年以降に持ち越しとなっており、引き続きその対応に追われることになりそうで、年明け早々でもお屠蘇気分に浸っている訳にもいかぬようです。

 それはさておき、今年は子年、十二支の初めの年であり、何事にも気分を一新して立ち向かえる気がします。或る運勢占い本には「活動の成果がはっきりする年、努力を重ねている人には好調な仕事運、仕事内容や職場環境の変化も予測される年でもあるが、どうのような状況下でも黙々と努力を重ねる事が大きな成功を手中にするポイント。強引な改革や方向転換は苦労のもととなる。」とあります。

 今までの実績と経験に裏打ちされた良き慣習と、新しい水先制度で要求される事をうまく摺り合わせながらソフトランディングをはかりより良い水先制度を確立したいものです。
 我々水先人の職場ではSafetyFirstが最重要視されなければなりません。経済性を追求するあまり、これが疎かになれば必ずやしっぺ返しがくることを覚悟しなければなりません。過去の数々の事例が物語っております。

 今後とも、我々水先人は関門海域の安全確保に精一杯の努力を続けてまいる所存に付き皆様方の変わらぬご支援をお願いいたします。

                       関門水先区水先人会  会 長  高祖 健一郎

# by kshpa | 2008-01-04 14:06  

水先人の仕事

水先人の仕事
 船舶交通の輻輳する港や交通の難所とされる水域を水先区(全国35区)として、一定の船舶に対して水先免許を受けた水先人が乗り込んで当該船舶を導くことにより、船舶交通の安全を確保し、運航能率の増進・港湾機能の維持を図るものとして水先制度が定められている。
 このため、水先人は水先区における運航技術の専門家として、港湾の事情・水路状況・気象・法令・慣行等、水先に必要な知識及び技能を最大限に発揮して船舶を安全かつ能率的に運航させていく責任を有している。
 「導く」という行為内容は、航海及び操船に関し船長の助言者という立場で船舶の操縦を指揮することを示し、具体的には、本船の進むべき針路や適切な速力を指示したり、タグボートの運用などにより船舶を岸壁に着岸・離岸させたり、強潮流のある海峡・水路や船舶輻輳している狭い水路を航行させ、広い安全な水域まで本船を導いていくことなどが水先人の水先案内という仕事である。

業務内容とその特徴
 特に交通の難所とされている港・水域は「強制水先区」として水先人の乗船を義務付けており関門水先区も強制水先区のひとつで、関門通峡を通過する船舶では1万トン以上、関門港への入出港を伴う船舶では3,000トン以上(若松区を除く)を強制水先対象船として関門水先人が乗込んでいる。
 日本籍船・日本人船員の激減により水先人が乗込む外航船のほとんどは、パナマ、中国、韓国、カンボジアといった外国籍船であり、乗組員もフィリッピンや中国人、韓国、ベトナム、インドといった東南アジア系やクロアチア、ポーランド、ロシア、ブルガリアといった東欧系、コミュニケーションは当然英語であるが、中には海事専門用語すら理解できない船長・乗組員に出くわすこともあり何かと困ることも多い。
 安全に業務を遂行するためのポイントを幾つかあげるとすると、まず

 ① 本船への乗り移りが第一の関門
 ② 本船設備・性能(舵・機関・航海・係船設備など)本船とのコミュニケーション
 ③ 周囲の状況 他船との行き会いや漁船、浅瀬、航路制限
 ④ 自然条件 風雨、潮流、霧、夜間や見通し距離
 ⑤ 海上交通ルール、マナーなど航行環境との折り合い 等である。

 日本の港湾には、水域事情に併せて「港則法」「交通安全法」等により航路航行の優先や追い越し禁止、並列航行の禁止といった特別な交通ルールが決められている。
 しかし規制緩和等の流れの中、近年は当該水域の事情や特別交通ルールに精通していない不慣れな外国船が、水先案内なしで航行するケースが多くなっている。
 迷走・違法航行・不当運航などの事例も頻発しており、付近航行船に対する運航阻害・ヒヤリや衝突、乗揚げ、ブイ接触などの海難事故の発生要因、引き金のひとつであり、違法航行船からの「もらい事故」を避けるのも安全運航上、大事な要素である。

安全確保のためには
 海上交通も陸上交通と同様であり、反対車線を走ったり、無理な追い越し、突然の進路変更、信号無視、極端な低速航行、道路工事中等の交通規制・・・などなど危険要因は似通っている。交通ルール・管制・指導に従い、周囲の状況をよく確認・・・・といった交通マナーが安全航行上大事な点であるが、前述の外国船の存在を考慮しておかねばならない。
 港湾の設備や航路標識、交通ルール・慣行といったことを、不慣れな外国人がどれだけわかっているのか? 守っているのか? 交通ルールは皆が守ることにより安全が確保できるものであり、マナー違反の船は、必ずそのうち事故をひきおこすことになる! 
 要注意船に対しては徹底的な指導・管制を求めたい。
 関門海峡では、ほかに航路内に多数の漁船・プレジャーボートが存在、横切りのフェリーや作業船、ときに10ノットにもなる強潮流などの航行環境であり、海峡内での海難事故は港湾機能をストップさせ、海洋汚染や経済的損失その他、多大な影響を及ぼすことになりかねない。その海峡を1日約700隻の船舶が往来しており、雑種船・ノーパイロットの外国船、マナー違反が多い内航船・クレーン船や曳航船などなどで、大型船や危険物船の航行には細心の注意が必要である。

今後の問題として
 我々水先人は、水先要請があれば深夜早朝・雨天強風などを問わず24時間、応召する体制を常に整えている。このため日ごろから身体能力の維持をはじめとする自己管理・研鑽に励んでいるところである。
 H19年4月より「新水先法」が施行され大幅な制度改正となった。しかし水先人の業務・責任・困難性などはますます厳しくなっていく環境であり、しかも大きな課題として受け止めているのは「後継者の養成並びに人材の確保」である。
 海上という自然環境と対峙する職業であり、経験と勘、感性がすべてともいえる。
 瞬時に周囲、他船・自船状況を判断し、経験と知識、情報に裏づけされた的確な決断・指示が下船するまで途絶えることなく続く。一瞬の油断も許されないピーンと張り詰めた緊張、・・・。これからますます海上経験豊富な日本人船長がいなくなる状況で、多種多様な外国船に乗り込み「安全請負人」としての役目を果たし続けるため、後継者養成にも重点を傾注し、陰ながらも日本の港湾機能を支えていきたい。

水先人の仕事_c0130207_114539.jpg船舶への乗り込み
この「乗船・下船」という行為は高波や強風、夜間も行われ、大型船では相当な高さをハシゴで登るため、危険をはらんでいる。


水先人の仕事_c0130207_11483022.jpg 「船橋」と呼ぶ最上層の操舵室
前方見張り、港湾との連絡調整情報確認しながら、針路速力・機関出力・タグボートなどへの指示をしながら慎重に操船。
(左から水先人、航海士、船長)。


水先人の仕事_c0130207_12381117.jpg岸壁への着岸操船
タグボートに押させながら船間距離前後25mほどで岸壁に寄せているところ。マストに掲げている旗は、行先の係岸旗と水先人乗船中を示す。



水先人の仕事_c0130207_13104991.jpg大型危険物LNG船の入港
浅瀬や潮流などの自然条件を考慮し、他の船舶や集団操業中の漁船などとの衝突を避けながら、タグボートの支援を受けながら慎重に航行している。
(手前は戸畑航路4番灯標)


                                    平成19年11月 1日
                     関門水先区水先人会  水先人  内田 研一

# by kshpa | 2007-11-01 00:00